コミュニティの「終わり」について考える

*本記事は 高橋龍征氏のnote記事をご本人の許諾を得たうえで加筆/転載した記事となります。
高橋龍征氏との共同でセミナー企画・集客のご相談を受け付けています。
是非お気軽にお問い合わせください。

 

主催者がコミュニティの「終わり」について考えておくことは、人が死を想い、創業者間契約や婚前契約を詰めるようなものです。

現実を見据え、来たるべき困難に冷静かつ的確に対処するための見通しと覚悟ができます。

主催者がいずれ直面する、コミュニティをどんな条件でどう終わらせるかについて、今回は個人的な経験からお話します。

 

場を「終わらせた」経験

 

2007年2月10日、八丁堀にある行きつけの寿司屋で偶然隣り合わせた客と意気投合して、中央区のご近所会を始めました。

その会は「また飲みたいと思える人」のみを集め、人と人とを繋ぎ、そこから面白いご縁を生じさせる、というものでした。

毎回の案内メールの最後に記載した、自らの場について定義した紹介文は以下の通りです。

 

2007年2月10日に八丁堀の寿司屋で偶然隣合った2人が「ご近所仲間をつなげよう」と意気投合して始めた会。

興味深い人々と、肩の力を抜いて交流できる場を作ろうと、徒に規模の大を追わず、”勧誘と紹介”のみでご縁を広げてきましたが、自ずと人が人を呼び、築地本願寺で開催した創立4周年宴会では、中央区長はじめ約260人以上が集まるに至りました。

特長は参加者の多様性。
職業は会社員、経営者、専門職のみならず、政治家、デイトレーダー、僧侶・神主、アーティスト等様々。
30歳前後を中心に4歳から70代まで、世界各国の、極めて幅広いバックグラウンドの方々が集まります。

“地縁”を原点とはしながらも”ご縁”があればどなたでも参加できますので、気軽にお越しください。

 

これは毎回出す度、つまり100回以上推敲していました。

なお、作った背景は以下をご覧下さい。

 

招待制で安心して参加できるようにする

 

SNSはありましたが、誰でも入れると逆に安心できないだろうと考え、一切使わず、完全紹介制にしました。

勿体ぶった話ではなく、単に私のGmailのアドレス帳に人を登録し、交流会では必ずどこの誰の紹介できた誰かを把握した上で、名簿を作成して配っていた、それだけのことです。

そうすることで、何かよからぬことがあった人が、次回以降来られなくなることを、参加者が理解するだけの話です。

それは、参加するに当たっての安心感になり、自分がその場に相応しいと考える人を安心して連れてこられる仕掛けとなりました。

 

余談:良いコミュニティの主催者には内省的な人が多い

それなりに盛り上がっている場の主催者と会うことが多いのですが、意外と内省的な人が多い印象です。「パリピ」的な人は、人の集まるところに行くのが楽しく、自分の場に来るのも当然楽しいよね、というノリで運営するので、知らない人の集まる場に行くことに二の足を踏む心理に思いが至らないのです。

また、場づくりには、核となる想いがないと動き続けることも、人を動かすこともできません。その想いの根源を常に考え、人にどう伝えるか、表現や方法に心を砕き続けることは、外交的な人より内省的な人の方が向いているのでしょう。

もちろん、上記はあくまで傾向であって、外交的でもいい主催者はいますし、単に内向的なだけの人もいます。

 

人が増え過ぎ、月例会に移行

 

4年ほどして、1イベントの参加者が300人に迫ると、完全ボランタリーでやっていたので、流石に負荷も大変になり、毎月八日の月例会に移行しました。

主催者は、会計不要・赤字リスクゼロ、調整・準備・スタッフ不要で、集客も極楽な仕組みです。

参加者も申込不要、参加費不要、飲食しただけの都度払いなので、忙しい人に最適です。

具体的には、日本橋のビル地下二階のBarを毎月八日、曜日に関係なく貸切り、入場無料、飲食全品500円の都度払いで、申込不要・飛び入り参加歓迎、というシステムです。

お店のバーカウンターで店員が都度会計してくれるので、運営側に必要なスタッフは0人です。主催者である私が遅れて参加しても問題ありません。

お金の徴収・精算も全てお店側で完結します。非営利なのでそれで問題ありません。私も自腹で飲んでいました。

いつも同じ店で同じ仕組みなので調整もいりません。案内も日付を書き換えるだけ。

参加者にとっても分かりやすく気軽でリーズナブルなものでした。

「毎月八日19時〜23時、いつものお店」で覚えやすいです。ある時Gmailの仕様を勘違いして半分の人にしか連絡がいきませんでしたが、「あると信じて来ました」という人が何人もいました。

2品食べて2杯飲んでも2,000円。顔だけ出しても割勘負けしません。

リーズナブルに良いご縁を築けるためか、毎月120人ほどがきて、その30~40人が新規の人でした。

 

入り口を緩めると、人の「質」を保ちにくくなる

 

最初はよかったものの、やがて人となりのよく分からない人も増えてきます。

120人もいれば、4時間があっても主催者はほぼ新規参加者のケアと参加者同士を繋げることで手一杯。

よくきて顔を合わせるけどよくは知らない人、誰か連れてきたか覚えてない人というのが増えます。

それまでは、場を理解し、それが分かる人が分かる人を呼んできていたので、その場の価値観やテイスト、場に相応しい人や振る舞いが、暗黙の了解で保たれていましが、それが急速に崩れてしまいました。

毎回30-40人のご新規さんが来て、その人たちがまた友人を連れてくると、共通理解のない人々が主になるためです。

なお、ここでいう「質」とは、場の趣旨に合致しているかどうかであり、人間の程度や社会的地位のようなものを指している訳ではありません。

また、人となりが分からないというのは、変な人が入ってきたという程でもありません。

どんな人かが分かるまで話し込んだり何かを一緒にする機会がないため、どんな人かに関する確信を持てない状態、という程度です。

 

場が「軸」を失うと起こること

 

やがて色々な「好ましからざること」が起きます。

古くから来ている、場の趣旨を最も理解している人々が、月例会から心情的に遠ざかってしまいました。

私は意図的に前面には出ないようにはしていましたが、それでも主催者である私が「この会はよく来られるんですか?」と聞かれることも増えました。

何より恐ろしいのは、免疫機能が働かなくなることです。

なにか良くない振る舞いをする人が出た時に、かつては場を良いものに保つために、主催者に報告が即座に上がってきました。

しかし、主催者との関係性や、自分達が場を良いものに保つ意識が薄れると、そんなことをする義理はなく、黙って去れば良いと思うようになります。

そうすると「悪貨が良貨を駆逐する」状態を止められなくなります。

私が絶対に使わない表現を使って、この会について新しい参加者に説明しているのを聞いた時、もう潮時だと思い、月例会を止めることを決めました。

「ここは、良い人脈ができる、異業種交流会です」

私が精魂込めて作り上げてきた場が、その想いに関心すらない人々が、私利私欲のために消費され始めたと、確信したからです。

止めることを伝えた実際の文面は下記です。

 

◆「八日会」の終了について
*ご興味ない方は読み飛ばして下さい

毎月大変盛況の会をなぜ止めるのか、頻繁に聞かれますし、主催者の責務として、ご参加頂いた皆様にご説明致します。

結論から言えば、会を「顔の見える会」に戻すため、というのが最大の理由です。

当会は、偶然を機縁に始まり、また飲みたい人を紹介し合って、自ら人が人を呼び、期せずして人が増えていきました。

増大する縁者の方々と、毎月まとめて会えるよう「月例会」を始め、更に人が人を呼び、毎月100数十人が参加する会になりました。

結果、多くの良縁を頂いた一方、個々人とじっくり話せず、参加者の人となりを十二分に把握できなくなりました。

紹介したい人のみを集めた「ご縁の場」を自負する以上、人となりが分らない人が増えた場へのお招きはし辛くなります。

会の主旨や思いを共有できるまで、個々人と話せなくなった結果、名刺やFBのお友達の蒐集による“人脈”構築等に余念なき輩も散見され、“異業種交流会”に成り下がる恐れも感じるようになりました。

もちろん、何か問題が顕在化した訳ではありませんが、完全な自信を持てない状況そのものが問題であると、私は考えます。

よって、徒に人が増える流れを断ち、顔の見える会に戻すため、八日会を止めることを決心しました。

今後は、上記写真教室始め、小規模でテーマを持った、他にはなく、価値の高い会を軸に、引続き非営利で開催していく所存です。

大規模な交流の場は、来月八日に開催する大忘年会等、年3回程度に留めるつもりで考えております。

ということで、引続き宜しくお願い致します。

「終わり」を決めた理由

 

考えたことは以下です。

1)自分が大事にしてきた「また飲みたいと思える人々」のための場ではなくなってしまった

2)何のための場か、どんな人・どんな振る舞いが相応しいかといった「軸」が共通認識ではなくなってしまった→「人脈」「異業種交流会」という言葉を使う人が散見されるように

3)安心して大事な人を呼べる安心感が失われ、自身が最も重んじる「信用」が、自分の見えないところで損なわれる恐れが増大した

4)単に飲むだけで何も創造しない「消費」を続ける意義を見出せなくなってきた

 

場全体として本来の趣旨や軸を失い、主催者がそのことに心折れた時が、終わらせ時ということです。

因みに、この辺の振り返りも踏まえて精魂込めて書いた「コミュニティ4つの死因」は、その界隈の人々の心の古傷を疼かせたようで、結構な反響がありました。

 

ご縁は腐らない

 

ちなみにやめたのは月例会であって、場そのものではありません。

ご縁は腐りません。疎遠になるのは元々縁がなかったからです。何年も会わなくても、必要なものは復活します。無理にキープする必要もないと思ってます。

営利でやっていたわけではないので、何も困りません(予算立案と実績記録はしますが、私はお金を一切触らず、一緒に始めた人に精算や剰余金管理は全て任せていました)。

 

魂なき言葉を安易に使わない

 

ちなみに、場の紹介でも終了宣言でも、1回も「コミュニティ」という言葉は使っていません。

そもそも組織としての実態のある「コミュニティ」を立ち上げたわけではないと思っていたからです。

しっくりこない借り物の観念に振り回されると、正解探しに目が行き、真摯に洞察すべき参加者の心理・言動が見えなくなります。

また、人が先にあってそのご縁に場としての形を与えていくのではなく、「コミュニティ」という実体のないハコから作ろうとすれば、思い入れを持てる一人一人を口説き持てなすのではなく、人格のない頭数を「集客」する発想になるでしょう。

コミュニティ・マーケティングなど、多くの人が共通して理解している使うべきですが、私的な場所なら、実質を考え抜いて、自分の価値観にしっくりくる、伝わるべき人に伝わる言葉を使った方が良いでしょう。

経験上、上手く回っているコミュニティは、直感的で分かりやすく想いの伝わるべき言葉で自らを定義しています。

それは文才やテクニックではありません。

主催者が思い入れを持って、一人一人に合わせた表現で真剣に口説き、毎回どう伝えれば良かったか反省を飽くことなく繰り返す中で、自分の心に根ざし、人の心を動かす表現に洗練されていくからだと思います。

 

 

 

◆執筆者 高橋龍征 / Takahashi Tatsuyuki

conecuri合同会社 代表 WASEDA NEOプロデューサー 情報経営イノベーション専門職大学 客員教授

大手システムインテグレーターの営業、経営企画を経験後、MBAを経て、ソニー、Samsungで事業開発を中心としたキャリアを歩み、事業創造支援家として独立。インキュベーター立ち上げや欧州企業の日本進出を支援後、スタートアップ共同創業(取締役COO)を行う。

早稲田大学の社会人教育事業「WASEDA NEO」プロデューサー就任を機に、事業開発や人材育成のためのセミナーづくりを本業とし、大学、企業、メディアからの受託や自身主催で、年間200件の企画を実現するようになる。

2020年、conecuri合同会社を設立。マーケティングセミナーの企画、社会人向け講座や企業研修の開発、それらを通じた事業創造を支援している。

新型コロナを機に、セミナーを一気にオンラインにシフトさせ、その知見を『オンライン・セミナーのうまいやりかた』として出版した。

また、13年以上複数のコミュニティ運営に携わる実践家として、大手企業や学校のコミュニティづくりも支援している。

早稲田大学 第一文学部 哲学科 東洋哲学専修 卒業 早稲田大学大学院 ファイナンス研究科 修了 青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム 修了 JVCA ベンチャーキャピタリスト研修 修了

 

 

◆著者プロフィール

株式会社まーけっち 代表取締役社長 山中思温

マーケティングリサーチのシステムとデータの提案営業を経験後、 最年少で事業部を立ち上げ、若年層国内ナンバーワンのユーザー数を達成。
リサーチの重要性と併せて、コストや施策への活用の課題を痛感し、中小・スタートアップでもリサーチやマーケティング施策の最適化をより手軽に利用できるようにする為、リサーチ×マーケティング支援事業の”株式会社まーけっち”を創業。

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